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Pause
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1993年 ジョー、Thailand Coke Music Award ソロシンガー部門で優勝

ノー、エー、ボースの3人組にジョーがボーカルとして加入。

Hard Rock Cafeで催されたパイレーツレディオのコンサートでBakeryMusicの目にとまり、Sillyfoolsなどとともにコンサートツアーを行う。

1996年 ファーストアルバム「Push Me Again 」
1998年 セカンドアルバム「Evo & Nova」
1999年 サードアルバム「mild」

1999年 Dojo Cityの新人の指導役
2000年 ベストアルバム「REWIND」

2000年 Joe ソロアルバム「Simply me」- Joeの思い出の曲を集めたアルバム

2002年 2月20日......


代表曲
「ティー・ワーン」
「コー・クワーム」など



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ボーカル Joe
本名 アマリン・ルアンボリブーン
愛称 ジョー、ヒヤオ
1971年10月14日生まれ

好きなアーティスト / チャートリー Carabao Mr.Big U2
特技 / 天文学に詳しい
将来の夢 / 教育省の大臣 子供にとってよい父親
座右の銘 / スー(闘うこと、挑戦)" สู้ "


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「Joeという名の旅人」
by ต่อพงษ์ เศวตามร์
2002/2/26 manager online の記事より抄訳


僕が初めてjoeと話をしたのは、6年前だった。「こういう節まわしだと、ルークトゥンを歌ったことがあるんじゃないの?」と声をかけたことを覚えている。

joeは恥ずかしそうに答えた。「歌っていました。ソンペット・ソンスパンとヨートラック・サラックチャイが好きです。僕は田舎育ちで、歌い方もこういうルークトゥンから学んだんです。」

僕は、「ロックを歌うときにじゃまにならないの?」と聞いてみた。そのころちょうど「Push Me Again」発売2週間後ぐらいで、「ティー・ワーン」がヒットし始めたころだった。

「仲間は文句を言っています。コブシが多すぎると。僕は歌を美しくしたいのですが、あまりなじまないみたいです。それでコブシは胸にしまっておいて、新しい旅に備えてとってあるんです。それを使える日がくるかもしれないから。」

joeはボソボソと説明してくれた。彼の人生は旅と同じで、地方のウタイタニーからバンコクの学校に入学し、そうこうするうちにコーク・コンテストに出場し、音楽キャンプに参加する機会を得て、pauseの仲間と出会った。そしてアルバムを出すことができた。それは旅と同じだと。

その夜、pauseは4曲披露してくれたのだが、joeは恥ずかしそうに、あんまりうまく歌えないかもしれないと言っていた。ステージで叫んだから、とか、サッカーを見に行っていたからとか様々な理由をつけて。しかし、音程がはずれているとは感じなく、アルバムで聞くのとなんら変わらなかった。

joeが「奇跡の声の歌手」と呼ばれていることを知らない人に対しても、この言葉を証明するのにそれほど手間はいらない。この呼び名は大げさすぎると思う人もいるかもしれない。しかし、ボーイ・ゴシヤポンが作曲した「ยื้อ」という曲を聞けば納得するだろう。

「ธาราธัต ธีรวัฒน์」についても語ってくれた。死んだ人の気持ちで歌ったとJoeは言った。「死んだ人の経験がどうやってわかるんだい?」と聞くと、よくわからないけれど、いろいろな本を読んだり、デスメタルの歌詞で勉強したりと語った。

その後、joeとはあいさつを交わす程度だったが、最後はテレビで彼を見ることとなった。
joeは自身の手によって行ってしまった。

sourse : http://www.geocities.com/JoePause/J_story1.html

joe2.jpg




*sourse
http://www.geocities.com/joepause/home.html
http://www.pausefanclub.com/
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2006 / 01 / 20 ( Fri ) | 23 : 10 : 45 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑
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